「新型コロナの流行が収束すれば江戸時代から続く三味線で人々の心に安らぎを与えたい」
こう希望の言葉を口にする男性は、祖父の代から続く三味線の家に生まれ、歌舞伎などの舞台で演奏されています。
事務所には所属せずフリーランスとして活躍していましたが、新型コロナ感染拡大で今年の8月までに予定されていた公演がいくつも中止になったそうです。
自身で準備していたチラシやチケットも使いみちがなくなりました。
この方には、お弟子さんが20人ほどおられるそうですが、感染リスクを考慮し、4月から中止しました。
お弟子さんからの提案でスマホを使った「オンライン稽古」を始め、試行錯誤しながらも続けているそうです。
新型コロナの影響で公演が中止になり無収入になりましたが、あきらめず目線を上げて前向きに歩んでいます。
一方横浜では、新型コロナの影響で働けず生活苦のために、不動産会社の女性社員を刺した事件が起こりました。
強盗殺人未遂容疑で逮捕された男性は、今年の3月頃まで大阪で風俗関係の仕事をしていました。
新型コロナの影響で働けなくなって、横浜に戻ってきたそうです。
ネットカフェで寝泊まりするもお金がなくなり、路上生活の後、犯行に及んだといいます。
この両者、二人とも同じく新型コロナの影響で仕事がなくなったのですが、その後の行動はまるで違います。
何が、どのように、変化したのでしょうか?
どこで、どう、スイッチが切り替わったのでしょうか?
記事が短いためお二人の詳しい経歴などはわかりません。
唯一の共通点は「新型コロナの影響で仕事がなくなり無収入になった」という1点だけです。
三味線奏者の男性は、それで生計を立てており、おそらく三味線が好きだったということは間違いありません。
お弟子さんも20人おられ、責任というものを強く認識されていたと思います。
自らが演者であり、指導者でもありました。
横浜の男性は、おそらくですが今まで雇われのみで生活してきたのではないでしょうか。
持ち金がなくなり一番安直に、人を刺して金品を奪うという行動に出てしまいました。
ここから導き出される私の考えはこうです。
これは1つの捉え方ですが、生きていく上での「柱」が一本では脆いのではないか?ということ。
「三本の矢」の話ではありませんが、家を建築すると考えた場合、屋根を支える柱が一本では折れた場合に家が崩れてしまいます。
しかし、柱が三本、五本とあれば、仮に一本が折れたとしても、家はなんとか、持ちこたえるでしょう。
この柱を生活の基礎と考えた場合、細い柱でもたくさんあればいいし、太い柱が二、三本でも大丈夫ではないでしょうか。
ただ一本では、弱い・・・という一つの例だと思います。
三味線奏者の男性の場合、演者としての収入はなくなりましたが、指導者としての道が残っていました。
スキルがあるって重要だと思いませんか?
しかも自分の好きなことでメシが食える。
こんなものは正解がある問題ではないと思います。
人間、生きているといろんな障害や困難にぶち当たり、思い通りにならない事はいくらでもあります。
今まで努力してきたことが、必ずしも報われないとわかったとき、どのような感情を抱くのか?
新型コロナの影響で仕事がなくなった、収入が激減した。
いままさに、現実問題として直面されている方もいるでしょう。
そうなったとき、自分はどうすればいいのか?
考えておく必要があります。
だって、いま現在の世界的社会状況を予想してた人っていないでしょ?
だから、備えておく、意識しておく、考えておくことが必要です。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』に有名な言葉があります。
「生きることに期待が持てなくなったとき、人は容易に自分自身を放棄してしまう」
しかし横浜の男性は、これが完全に当てはまりません。
彼は自分を放棄しなかったんです。
彼は生きたかった。
もっと生きて人生を謳歌したかったのです。
しかし彼にはその「柱」がありませんでした。
結果、犯行に及んでしまいました。
いつか彼の心に三味線の音色が届くことを願います。